相場で負けたい人がいる、という事実

ツイッターで連続投稿したんですが、その加筆修正版です。私自身、このタイトルの通り、10年前は「相場で負けたい人」でした。投資では多くの人の声を参考にスタイルを決めていくものですが、その対象となる人の中の多くに、負けるために相場をやっている人がいます。

すべての人たちが相場から答えを得る(エド・スィコータ)

債権の伝説的トレーダーエド・スィコータの名言は、「すべての人たちが相場から答えを得る」だったと思う。

たとえばこういう人はいないだろうか。

いつも自分が売った瞬間から株価が反転してしまい、それを常に嘆いている

相場に勝てない、と言いながらも、その改善のための努力、たとえば「●●という本を買ってみて●●をためしてみた」というような気配が見えない

また、自分の行動として、ツイッターで以下のような傾向がないだろうか。

・負けてることを嘆いている人のフォローばかり

・自分より資金規模が大きい人たちのフォローばかり

・なぐさめあう関係を作ってる相互フォロー

SNSでは特に、自分に都合のいいものをフォローするので、自分の潜在意識の答えが鮮明に表れやすい。負けてることを嘆いている人のアカウントばかりをフォローしていたら、自分は相場で優越感に浸りたい、というのが参加理由なのかもしれない。

負けてることをなぐさめあう場合、自分の負けを正当化して負けの修正をしようとしなくなっているかもしれない。そもそもそんな気などないことが多い。

「負けるために相場に入る」「他人に自分の金持ち具合をみせびらかしたい」など、信じられない理由で相場をやっている人が意外に多数いる。まずその前提を持って人々の「言うこと」に接しよう、と私が投資を再開したときに思ったことだった。

相場は流れに乗るものなので、勝ちの流れと負けの流れがある

相場は「流れに乗るもの」なので、いいときもあれば、悪い時もある。たいていの場合はその組み合わせなので、自分の流れがどっちに行っているかを慎重に確認しなければならない。

その流れが悪い方向に行きっぱなしの場合には流れを断ち切る思い切った行動が必要、と考える。 だが、人間は「行動習慣の生き物」なので、だいたいそれはできない。昼飯を抜け、といって何日できるか、とかそういうことに比例する。

負けてる人は大体行動習慣の壁に加えて、潜在意識が命令して負けるように仕向けている。その先にある答えを導き出すために、負ける。1億飛ぼうが、100円飛ぼうが、その先に個々人がつかまなければいけない答えがあるので、避けられない。

負けてる人が回復するパターンもある。が、それは、その人の行動を見なければいけない人がほかにいるため。それを見ないとわからないあほんだらのために、その人が犠牲を引き受けてることがある。 「あんたのために負けてるんだ」という人もいる。

勝敗の差がほんのちょっとの行動の差、が続くことがある。それでも行動を変えられない。そういう人たちはたいてい、相場だけの負けを通じて人生における何かを達成しようとしている。10年前の私はこのパターンで、その答えは「幸せになってはいけない」という驚くべき答えだったのを後に発見した。

そのまま続ければよい

勝っていようと負けていようと、その結果を伸ばし続けたいなら、いまやっていることを今まで通りやればいい。反対の結果にしたいなら、すべての行動を反対向きにする覚悟と実行が必要になる。後ろ向きで歩き、飯を抜き、ほめるときに人をけなすくらいのことを最低数か月続けられるか、だ。

行動を3週間続ければ習慣になる、とは誰かが言っていること。まず変化を起こしたければこの期間がんばってみるという手もある。

勝っていようと負けていようと、その結果をちょっと方向を変えたい(たとえば100ドルの負けを10ドルの負けにしたい)なら、自転車通勤を徒歩通勤に変えるというような似たようだけど違う行動を何個やれるか、だろう。それを達成したら次の違うことをやる。

そうすると、徐々に何かが変わっていく。

どうであれ、これを読んだ以上は、何か理由があるのだろう

私の感慨がどうであれ、この文を読むご縁がつながった人たちはすべて、何かをしなければいけないのは確かだ。この文は、負け続けることを目的にしている人には絶対に届かないと思っている。このくらい書かないと理解できない人、が読みに来ているのだと思う。いずれにしろ世界の絶対規律である「知った責任を取らされる」ことは確かで、まあがんばっていきましょう、としか言えないかも。